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かわいいなさんの空中散歩

第59回清和源氏まつりが開催されました

川西市の春を彩る懐古行列 豪華絢爛に開催

第59回清和源氏祭りの開催

2023年4月16日「清和源氏発祥の地」である川西市で、勇壮な源氏の騎馬武者や子ども武者、稚児行列など約220人が参加する「第59回清和源氏まつり」(主催:清和源氏まつり実行委員会・川西市観光協会・川西市)が行われました。

オープニング会場であるアステ川西(川西市栄町25-1)や懐古行列が行われた沿道には、市内外から約18000人が訪れ、若葉が彩る中で華麗な時代絵巻を楽しまれました。

盛大なオープニング

清和源氏まつりは、多田地域の歴史的背景を大切にしながら、市中心市街地に場所を移しての開催に。

メインの懐古行列に先立ち午前10時20分から行われた「川西能勢口」駅前のアステ川西ぴぃぷぅ広場でのイベントでは、鎧兜を身に付けた武者に扮した越田謙治郎川西市長の他、巴御前などの三御前と若武者(八幡太郎義家公)役などがそれぞれに口上を述べ、会場を盛り上げていた。

見どころの一つ、懐古行列華やかに

同まつり最大のイベント懐古行列は午前10時50分にアステ川西ぴぃぷう広場(栄町25-1)をスタート。

よろいかぶとに身を固めた源氏ゆかりの武者をはじめ、三御前(巴御前、常盤御前、静御前)の3人や若武者(八幡太郎義家公)などが徒歩で市役所に向かいました。

市役所に到着すると、待ち構えていた稚児や少年少女武者と合流。

総勢220人となった行列は、騎馬武者を最後尾に再出発してキセラ川西せせらぎ公園(火打1丁目)まで行進し、沿道には絢爛豪華な懐古行列を一目見ようと多くの人が訪れました。

巴御前役の小川 恵莉佳さん

「歴史ある川西市の清和源氏まつりに巴御前役として参加させていただき、大変うれしく思います。今日だけでなく、これからも川西を盛り上げるため、いろいろな場で川西の良さをPRしていきたいと思います。」と話されました。

清和源氏まつりに関わる歴史

今から千年あまり前、第56代清和天皇の曾孫に当たる源満仲が、川西の多田盆地に移り住み、天禄元年(970年)に多田院(現在の多田神社)を創建し、清和源氏の礎を築来ました。

後世、鎌倉幕府を開いた源頼朝や全国に名を馳せた源氏武将たちは、満仲の子孫であり、川西市は「源氏と武士団発祥の地」と言われています。

清和源氏まつりは、この清和源氏の祖、源満仲公をしのび、「清和源氏発祥の地かわにしの歴史、文化、観光をPRするため、毎年開催しています。(令和2年、令和3年は中止)

 

清和源氏について知りたい方はこちらをご覧ください。

清和源氏発祥の地かわにし

三ツ矢について

源満仲が住吉大社で祈念したところ「矢の落ちたところを居城とせよ」との神のお告げにより矢を放った。

その矢が落ちた方向を尋ね歩いたところが、現在の矢問(やとう)地区であるといわれている。

満仲が射った矢は多田沼に住んでいた九頭竜に命中していたという伝説が残っています。

また現在の平野駅の近くに沸いていた鉱泉(平野湯)は江戸時代に摂津三湯の一つに数えられ(有馬・平野・一庫)、元禄年間には浴場も備えられていた。

明治14年(1881年)に、イギリス人のガランにこの平野鉱泉が飲料に適しているということが発見され、明治17年(1884年)に我が国最初の飲料水工場が誕生。

大正4年(1915年)には「三ツ矢」の商品名に改められ、現在でも「三ツ矢サイダー」は全国的に長く親しまれています。

ちなみに、「三ツ矢」が一般的ですが一説に「満つ矢」なのではという意見もあるそうです。

今回の清和源氏まつりでは、三ツ矢サイダーがPRのため数量限定で無料配布されました。

 

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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